言葉
2007年 03月 06日
母に誘われて、映画『ボビー』を観てきました。
ラストシーンが素晴らしく胸に響く映画でした。
舞台はロバート・F・ケネディが暗殺されたアンバサダーホテル。
その場に居合わせた人々の群像劇。・・・と、前半から後半は正直いまいち。
ですが、ラストシーンのRFKの演説は、とても胸が締め付けられました。
もし、この人が大統領になっていたら、世界はどんなふうに変わっていただろう?
以下、ロバート・F・ケネディの演説です。
今日は政治を語ることはしません。
この機会にぜひ伝えたいことを簡単にお話します。
アメリカでの少なくない暴力について。
暴力は国の名誉を汚し、人々の命を奪います。
それは人種に関係ありません。
暴力の犠牲者は、黒人、白人、富者、貧者、若者、老人、有名、無名。
何よりもまず、彼らは人間だと言うこと、誰かに愛され、必要とされた人間なのです。
誰であろうと、どこで暮らそうと、どんな言葉であろうと、犠牲者となりえます。
無分別な残虐行為に苦しむのです。
それなのに、今なお、暴力は私たちのこの国で続いています。
なぜでしょう?
暴力は何を成し遂げたでしょう。
何を創り出したでしょう。
アメリカ人の命が、別のアメリカ人により、不必要に奪われる。
それが法の名の下であろうと、法に背くものであろうと、
一人、または集団によって、
冷酷に計画して、または激情にかられて、
暴力的攻撃によって、または応酬によって、
一人の人間が苦労して、自分や子供のために織り上げた生活や人生を、暴力で引き裂く。
暴力はすなわち、国家の品位を貶めることです。
それなのに、私たちは暴力の増長を容認する。
暴力は私たちの人間性や、文明社会を無視しているのに。
私たちは力を誇る者や、力を行使する者を、容易に賛美する。
自分の人生を築くためなら他者の夢さえ打ち砕く者を、私たちはあまりに容易に許してしまう。
でもこれだけは確かです。
暴力は暴力を生み、抑圧は報復を生みます。
社会全体を浄化することによってしか、私たちの心から病巣を取り除けません。
あなたが誰かに、人を憎み恐れると教えたり、
その肌の色や信仰や考え方や行動によって劣っていると教えたり、
あなたと異なる者があなたの自由を侵害し、仕事を奪い、家族を脅かすと教えれば、
あなたもまた、他者に対して、同胞ではなく敵として映るのです、
協調ではなく、力によって征服し、従属させ、支配すべき相手として。
やがて私たちは同胞をよそ者として見るようになる。
同じ場所にいながら共同体を分かち合わぬもの、
同じ場所に暮らしながら同じ目標を持たぬものとして。
共通するものは、恐れとお互いから遠ざかりたいという願望、
考え方の違いを武力で解決しようという衝動だけ。
地上での私たちの人生はあまりに短く、なすべき仕事はあまりに多いのです。
これ以上、暴力を私たちの国ではびこらせないために。
暴力は政策や決議では追放できません。
私たちが一瞬でも思いだすことが大切なのです、
共に暮らす人々は、皆、同胞であることを。
彼らは私たちと同じように短い人生を生き、
与えられた命を、私たちと同じように最後まで行き抜きたいと願っているのです。
目的を持ち、幸せに満ち足りた、達成感のある人生を送ろうと。
共通の運命を生きる絆は必ずや、
共通の目的を持つ絆は必ずや、
私たちに何かを教えてくれるはずです。
必ずや、私たちは学ぶでしょう。
周りの人々を仲間として見るようになるはずです。
そして努力し始めるでしょう。
お互いへの敵意をなくし、
お互いの心の中で、
再び同胞となるために。
ロバート・F・ケネディ
ラストシーンが素晴らしく胸に響く映画でした。
舞台はロバート・F・ケネディが暗殺されたアンバサダーホテル。
その場に居合わせた人々の群像劇。・・・と、前半から後半は正直いまいち。
ですが、ラストシーンのRFKの演説は、とても胸が締め付けられました。
もし、この人が大統領になっていたら、世界はどんなふうに変わっていただろう?
以下、ロバート・F・ケネディの演説です。
今日は政治を語ることはしません。
この機会にぜひ伝えたいことを簡単にお話します。
アメリカでの少なくない暴力について。
暴力は国の名誉を汚し、人々の命を奪います。
それは人種に関係ありません。
暴力の犠牲者は、黒人、白人、富者、貧者、若者、老人、有名、無名。
何よりもまず、彼らは人間だと言うこと、誰かに愛され、必要とされた人間なのです。
誰であろうと、どこで暮らそうと、どんな言葉であろうと、犠牲者となりえます。
無分別な残虐行為に苦しむのです。
それなのに、今なお、暴力は私たちのこの国で続いています。
なぜでしょう?
暴力は何を成し遂げたでしょう。
何を創り出したでしょう。
アメリカ人の命が、別のアメリカ人により、不必要に奪われる。
それが法の名の下であろうと、法に背くものであろうと、
一人、または集団によって、
冷酷に計画して、または激情にかられて、
暴力的攻撃によって、または応酬によって、
一人の人間が苦労して、自分や子供のために織り上げた生活や人生を、暴力で引き裂く。
暴力はすなわち、国家の品位を貶めることです。
それなのに、私たちは暴力の増長を容認する。
暴力は私たちの人間性や、文明社会を無視しているのに。
私たちは力を誇る者や、力を行使する者を、容易に賛美する。
自分の人生を築くためなら他者の夢さえ打ち砕く者を、私たちはあまりに容易に許してしまう。
でもこれだけは確かです。
暴力は暴力を生み、抑圧は報復を生みます。
社会全体を浄化することによってしか、私たちの心から病巣を取り除けません。
あなたが誰かに、人を憎み恐れると教えたり、
その肌の色や信仰や考え方や行動によって劣っていると教えたり、
あなたと異なる者があなたの自由を侵害し、仕事を奪い、家族を脅かすと教えれば、
あなたもまた、他者に対して、同胞ではなく敵として映るのです、
協調ではなく、力によって征服し、従属させ、支配すべき相手として。
やがて私たちは同胞をよそ者として見るようになる。
同じ場所にいながら共同体を分かち合わぬもの、
同じ場所に暮らしながら同じ目標を持たぬものとして。
共通するものは、恐れとお互いから遠ざかりたいという願望、
考え方の違いを武力で解決しようという衝動だけ。
地上での私たちの人生はあまりに短く、なすべき仕事はあまりに多いのです。
これ以上、暴力を私たちの国ではびこらせないために。
暴力は政策や決議では追放できません。
私たちが一瞬でも思いだすことが大切なのです、
共に暮らす人々は、皆、同胞であることを。
彼らは私たちと同じように短い人生を生き、
与えられた命を、私たちと同じように最後まで行き抜きたいと願っているのです。
目的を持ち、幸せに満ち足りた、達成感のある人生を送ろうと。
共通の運命を生きる絆は必ずや、
共通の目的を持つ絆は必ずや、
私たちに何かを教えてくれるはずです。
必ずや、私たちは学ぶでしょう。
周りの人々を仲間として見るようになるはずです。
そして努力し始めるでしょう。
お互いへの敵意をなくし、
お互いの心の中で、
再び同胞となるために。
ロバート・F・ケネディ
by shocos
| 2007-03-06 00:30